私の生きづらさは、
どのように出来上がったのか?
私は過干渉の母に育てられ、
長年母にとって「いい娘」でい続けました。
母から褒められたい!
認められたい!
といつも思っていたことを思い出します。
何をしても、
「あなたはダメね」と言われていたから___。
過干渉の母
中学生の授業参加で自分としては誇らしい発言をしたと思ったことにもダメ出しされたり、体育祭の徒競走で1位になっても「なんだかドタバタ走ってたわね」と言われたり、いつも「私はダメなんだ」と感じていました。
そんな私に「あなたは引込み思案で自信が ないのよね?もっと自信もちなさい!」とも。
母からそんな風に言われても、私は母に口答えしたことはほとんどないのです。
何か母の気にそぐわないこと言ったり、したりすると、母が泣いたり、すねたりしたので 母をそうさせてしまう自分が悪いのだと思っていたからです。
母の望む娘でいることは私が就職しても続きました。
自分が稼いだお金で買う洋服さえも、選ぶ際に母の顔が浮かび「これを見て母はOKしてくれるだうか?」とドキドキしながら帰宅したものです。
結婚してからも同じ状況でした。
この頃には母の望みどおりにすることが当たり前になって、自分がどうしたいのか?を考えることさえしていなかったかもしれません。
母への嫌悪
ある時、そんな私を見かねたのか、夫から 「お母さんの言うとおりにしなくてもいいんだよ。嫌だったら断っていいんだよ。自分の好きなようにすればいいんだよ」と言われました。
その時の私にはこれがどういう意味なのか?理解できていなかったのですが、徐々にこれまで私は母に支配されていた、コントロールされていたと感じるようになり、それまでの母に対する苦手意識が嫌悪に変わりました。そして、身体を触られたり、近くに来られることも嫌になりました。
また、一方で手作りのお菓子や洋服を私のために作ってくれ、何不自由なく育ててくれた母にそんな感情を抱いてしまうこと、感謝できない自分を責めもしました。
友人に相談したこともありましたが、「あなたは子供がいないからお母さんの気持ちがわからないのよ。お母さんがかわいそう」と言われたことがあり、ますます自己嫌悪に陥り、このことを誰かに話すこともなく、母にも自分の気持ちを悟られないよう「よい娘」でい続けました。
自分責め
自分自身を責め、否定し続けたからでしょうか?友人、職場の人々など誰に対しても自分の気持ちはかくして、相手の気持ちを優先していました。
自分がどうしたいのか?より、まず相手がどうしてほしいのか?を考えるのが当たり前になっていました。
そして、人から言われたちょっとしたことに「やっぱり私はダメなんだ」と深く傷つくこともしばしばで、人と接することにとても疲れました。
夫に対しても、結婚して以来生活を支えてくれている夫の気持ちを優先にしていました。
GWや年末年始、夫が家にいる時間がながくなると、私自身ひとりでホッとできる時間がなくなり、イライラが募りました。
夫のちょっとした行動に不満を感じ、目の前にいるだけでムカっとしてしまうほど。
このまま一緒に暮らしていくのは難しいなとまで思いました。